教育法

ここでは当学院の英語教育についての考え方をお伝えします。

1. ずっと上までつながった、先を見たプログラム

「かけがえのない我が子のために」ということは、一人の子どもが独り立ちしていくまでの成長にあわせて長期的な視野で考えるということです。

つまり、年齢や発達を踏まえながら、その時々の段階に最適な方法を採用し、同時に、その次の、より高度なレベルにつながることを大事に設計し実践していくということです。

例えば、3〜4歳児対象の年少児クラスでは、アルファベットを書く学習が導入されますが、これは詰め込みの強制的な勉強ではなく、言語を記号として認識し始めた段階で講師や友達とともに楽しく作業することでより興味を引き出し、さらに手先の巧緻性や集中力といった能力を発達させるタイミングにあわせたものなのです。ですから、この段階では「どれだけ書けるか」は問題ではなく、次の段階でのフォニクスを含む文字学習がスムーズに進められるための下地を固めることを主眼としているのです。

他のクラスの様々な活動も、一つひとつがこのように長年多くの子どもたちを指導してきた経験を基に、心理や認知能力あるいは脳神経上の発達等を踏まえながら、次の段階への“足場作り”となるように計算されて構成されています。もちろん、その年齢にあった楽しさ、面白さを第一としながらですが。


2. 外国語としての英語を最高の効率で身につける

これまでの英語教育を根本的に改善するためには、目標設定と学習方法の両面から変えていく必要があります。外国語としての英語を、現在の大学入試レベルまで、コミュニケーション力も含めて効率よく身につける方法を追求したのが、ナタリス・メソッドです。

〜これまでの“英会話”では、なぜ力がつかなかったのか〜

日本で暮らし日本語環境のなかで育つ大部分の子ども達にとって、英語は外国語です。そして、これから我が子が身につけるべき英語は、少なくとも第一に、世界共通語として認められている、世界中の人とコミュニケーションが充分にできるための道具としての英語です。その先で、英米人に固有の文化と歴史と民族感情の蓄積を背負った彼らの母語としての深さまで追求するかどうかは個人の嗜好の問題にすぎません。今その目標を世界の様々な人と知的な仕事や活動を共同でこなせるレベルと想定すれば、前段階の広い意味での基礎教育の目標を、海外の、一般的な指標の一例として米国の、大学に留学するための準備ができている(仕上げの学習は別としても、TOEFL(=米国留学に必要な英語力テスト)である程度のスコアが取れる下地の力が備わっている)状態までとすることは妥当ではないかと考えます。文部科学省の『英語教育の在り方に関する有識者会議』等で議論されている内容も、大まかに高校終了時点でそのような英語力を目標にする方向であると言えそうです(「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」等参照)。ここまでをまとめておきますと、目標は世界共通語としての機能が果たせる英語であり、それは我が子に取っては外国語なので、外国語としての学び方を追求するべきだ、ということになります。

しかし、世間の現状を見てみますと、いまだにネイティヴの英語をめざすような売り文句があふれ、第二言語(例えば、米国に移住した外国人が英語環境のなかで暮らしながら身につける英語)の習得をめざすなような方法を良しとする考え方が喧伝され蔓延っています。曰く、できるだけ長くネイティヴ・スピーカーと自然に接すれば(=たくさんのコマを学習すれば)、あるいは、英語での長時間授業/保育を受けさせれば、自然にネイティヴのように話せるようになる、云々。海外旅行や買い物など、その場で用を足すレベルの会話を流暢にこなせることが目標ならそれでもかまいません。しかし、問題は、上で述べた通り、読み書きも含めもっと複雑な内容の話をこなして何かを実行する、仕事や留学レベルの課題遂行ができる英語力の獲得にあるはずです。少なくとも、我が子がめざすべき英語力、時間と労力をかけて身につける価値のある英語力は、そのようなものであるはずです。また、内容が大事だという点からは複雑で高度な“内容”とは思考力によって担保されるものであり、思考力は母語の言語能力に基づきます。つまり、国語力を犠牲にしては達成できないものなのです。ここに外国語で長時間保育することの危険性があります。

目標と方法の齟齬、これがこれまでの“英会話”や英語保育、さらに、ここでは触れていませんが従来の学校教育(言うまでもなく、話す・聞くの技能面の達成不足という別の方法的問題が解決されていません)の基本的問題点なのです。

〜外国語として最大限に効果と効率を追求するには〜

それには、まずより広範なそして抽象的な語彙を身につけること、さらに(そのためにも)特に高度な読む力を伴っていなければなりません。広い社会常識といえるような物事についての語彙・表現や専門分野の詳しい内容の言葉は、読むことによって獲得されます。高度な読解力は、高校/大学入試や導入が検討されているTOEFLなどに対しても絶対に必要な基本の力なのです。(実際、読解力が高くなければ入試で高得点をあげることはできないと断言できます。)あとは、それをいかに使えるようにするかということになるのですが、語彙や読解力を身につけた後で運用力を鍛えようということになれば、それこそ従来型教育の欠陥として問題視されている方法です。

では、どうすればよいのか。結論は、できるだけ早くから英語学習を始め、英語が使えるように運用力を伸ばしながらしかも高度な読解力や語彙の獲得までも有機的に統合させた新しい学習法ということになります。少し乱暴な言い方になりますが、英語力に、「運用力」(=聞き話すコミュニケーションの面の力)と「知識」の力(=高度な文法・構文・語彙知識とそれを統合して文を作れる力)の二面があるとして、それぞれを発達段階に合わせて最適化した学び方をする。運用力には、日本語にはない音を真似て言えるようにしたり耳をならして聞き取れるようにすることからはじまって、目の前の相手の意図を、言語の内容だけでなく非言語的情報も総動員して汲み取る力やわかろうとしたり伝えようとする姿勢など、感覚的・技能的な部分も多分にあります。これは低年齢のうちから良質の活動に継続的に参加することで楽に、強いてではなく文字通り楽しみながら、身につけることができる、あるいは、むしろ明らかに早期の方が有利なものさえあります。楽しく身につけられることをその時期にしっかり伸ばしておけば、後で苦労しなくて済むわけですし、的を絞ることで効率的に進めることができます。そして、そのときに、ネイティヴとたくさん話さえすれば身につくといった自然習得にまかせるような安易な第二言語教育観に基くのではなく、外国語として目標言語を段階に応じて絞り込みながら、母語と通低する理解力も認知発達に合わせて動員しながら、総合的なコミュニケーション学習を構築していくべきでしょう。

〜 ナタリス・メソッドの考え方 〜

そこで、私たちは、それぞれの発達段階に応じた最適な方法をとりながらもそれが長期的なプログラムの中に周到に組み込まれることで無駄をなくした効率的な英語教育が可能だと考え当学院の教育法を設計しました。

大まかに言って、幼児期は、直接経験の世界に生きている子どもたちがネイティヴ講師と楽しく英語を使ったやり取りの経験を積み重ねながら音として英語に出会いコミュニケーションの感覚とともに身につけていきます。あくまで外国語なので、母語の発達を促すためにも、週1回の中身の濃いレッスン+家庭で再現・練習できる教材(レッスンに正しくリンクしたもの)があれば十分と考えます。また、次の段階のために文字を意識し読めるようになるための導入も楽なかたちで折り込んでいます。幼稚園段階からは、書くことやフォニクスも少しずつ学び始めます。年少の3、4歳児がアルファベットからはじめて英語を書く学習を系統的に始めるのは早すぎると思われる方もあるかもしれません。しかし、当学院のこの段階の「書き」のレッスンと教材は、文字への意識付けだけでなく、座って1つのことに取り組む訓練(手先の巧緻性の発達と作業/処理能力や集中力の発達)や講師と1対1での「自分がやっていることへの指導」を受ける場(英語での個別対話の経験)といったこの発達段階で必要な総合的な能力開発をめざしてのことなのです。かけがえのない“我が子”の将来のために必要なのは英語だけではないので、できるかぎり幅広く必要な能力を高めたいと考えています。

小学校に通うようになると、教えられたことを理解した上で、基本を練習し、さらに実践的・応用的な練習で自分のものにしていく“学習”のパターンが身についてきます。環境から自然に獲得される母語と違い、外国語はまさにこの学習パターンに組み込んでこそ効率的に習得されます。現在の一般的な学校英語のように、この段階で「楽しく使う経験をして、英語に慣れましょう」では、せっかくの学習能力を充分活用しないことになりあまりにもったいないと言わざるをえません。子どもたちには充分な学ぶ力が備わっているのです。ただし、知識だけを詰め込むのでは意味がありません。対象を段階化し、言語素材を絞り込んだ上で学習しやすい順番に並べて体系的に学べるようにし、一方で、それを生きた言葉として使う《練習→実践》という経験の訓練も同時に行うべきでしょう。前者は、理解し納得できていることがポイントになりますので日本人講師が担当し、後者は英語を使う生身の人間とのコミュニケーションにこそ価値があるのでネイティヴ講師を相手にすることが望ましい。そのために、“W担任制”という現在のシステムを、定員たった5名という少人数クラスで実現したのです。だからこそ、週1回1時間足らずの授業と若干の宿題で高い効果が期待できるのです。

さて、話があまりにも長くなってしまいました。この先の内容につきましては、各年齢/学年の項目を参照していただくとして、このように各段階毎に学習方法と内容について考え抜き、それを前後の段階と緊密に連関させながら、高校生(大学入試)レベルまでひとつながりなっているということと、途中のどの段階から始められても、短期間でその流れに乗って進めるような工夫があるという点だけお伝えしておきましょう。

また、小学校のうちに目安としている英検3級というのは、関係代名詞や現在完了など日本語に無い文法を含む1ページ程度の長文を読んで5つの問題に答えたり(5〜8分で!)、同様に長い英文メールのやり取りを読み取ったり、「CDを買った人はポスターを無料でもらいました。」というような正しい英文が作れたりする力と、同じく中3修了レベルのリスニング力、さらに1対1の面接試験でのスピーキング力ということになります。当学院の通常プログラムでは、そこに中3の教科書をすらすら読めるようにすることも含まれています。ネイティヴ・スピーカーとのコミュニケーション経験の蓄積の他に、中学文法の全てを含む5ページにわたる文章を一気に読みこなせる力も全員につけようということです。外国語なのだから最小限の負担でこつこつ続けるという戦術で、ここまで多くのお子さんが(中学受験で最後まで続けられなくなる方もありますが)可能であるということをご理解いただきたいと思います。

最後に、この国の英語教育は、大きくかわろうとしています。文部科学省も、公立私立を問わず現場の各校における真摯な取り組みも少しずつ成果を上げながら確実に進んでいて、2020年という明確な目標ができた今、大改革への下地はできてきたと判断されるでしょう。制度がどう変わってもめざすべきゴールの英語力は同じなので、外部要因に左右されずに我が子の将来につながることだけを考えて家庭教育の立場で「備え」をする、そのお手伝いをすることが使命だと考えています。そのために、ナタリス学院の教育内容もどんどん進化していくように、これからも日々改善していくことを申し添えておきます。

3. 国語力の大切さと早期英語教育批判のこと

国語力は絶対に重要で、最優先すべきです。しかし、早期英語教育も害悪や無駄ではなく、早期なればこその利点も多いので、かける時間や労力について負担の少ないやり方で効率よく行うべきです。また、ナタリス学院では、幼児からの英語学習者に国語力を中心とする能力開発サポートを行っています。

私たちも英語教育において国語力を伸ばすことが重要だという考え方には大賛成です。国語力はすべての教科の基本となる力ですし、先にも「思考力は母語の言語能力に基づきます」と書いていますように、内容が高度になるにつれて国語力の必要性も増してきます。例えば、高校や大学入試の英語の長文問題で、一読で文脈まで読み取れるか、段落単位で要約しながら読むことができているか、というときに国語力に大きく差がある場合を想像していただければわかりやすいと思います。学習のあらゆる場面で、習得の速さや応用できる力の違いとなって現れるということもできるでしょう。実際に国語も指導している立場として声を大にして申し上げたいのは、国語力こそまず第一に、少しでも高く深く伸ばしていかなければならないということです。

しかし、だからといって早期の英語学習を否定する理由にはなりません。よくある「国語力を高める方が先だ」といった反対意見は、おもに「国語力もつかないうちから英語を学ばせても仕方がない」(=英語にさく時間を国語にまわすべきだ)ということと、「早期の英語学習は国語の伸びを阻害する要因だ」(=幼児、小学生の英語学習は国語力にの害となるか、まったく無駄だ)、という意味でしょう。この点に関しては、以下のように考えています。

まず、学術的に見て、応用言語学や発達心理学の言語獲得/習得論の分野で、幼児期に外国語や第二言語の習得をはかることが、母語や思考力の獲得や発達に悪影響を及ぼすという学術的に証明された(と受け入れられている)事実はありません。バイリンガリズムについても様々な研究がありますが、2、3種類の言語を使って普通に生活している人々の知能が低いなどということは決して言えず、むしろプラスの影響についての実証的な論考もあるのです。

ただ、ここで懸念されるのは、英語を身につけさたいと思うあまり「英語で子育て」などと称して日本語をほとんど使わずに接するようなケースです。養育者を含む周囲の環境からたっぷりと言語刺激を与えられることで、母語はある程度まで自然に獲得されます。それでも後の国語力に差が出るので、読み聞かせや語りかけなどに充分に配慮してより豊かな母語の土壌(本人の国語力の核になるもの)を養うように努力する必要があるほどなのに、それを放棄してまで外国語である英語を不自然な形で与えてしまえばどうなるかは想像に難くありません。英語保育の施設を利用する場合も含め、我が子が深くものを考え、微妙な感情や感覚のよりどころとなる言葉を何にするのかは、人生全体にかかわるという自覚を持って厳格に考える必要があります。もし英語でということなら、それは日本語ベースの通常の学校には通わないということを意味します。中等〜高等教育で学ぶ複雑な知識や概念の操作=思考を英語で行えるようにならなければならないからです。海外移住が決まっているとか、片親が英語話者といった場合を除き、お手軽な「英語で子育て」でネイティヴ並の英語力を身につけてバイリンガルに、といった妄想は捨てるべきだと断言しておきたいと思います。学校でもっとも「勉強ができない」層の子どもでも日常会話は流暢にできますが、思考力が十分でないのです。我が子を日英両語ともにそんなレベルの人間にするために努力する親はいないと信じたいと思います。

話が逸れてしまいましたが、早期英語教育自体に害はないので、あとは国語力を伸ばすことを優先しながら、英語は外国語として効率的で負担の少ない方法で学べる方法があるのだということを訴えたいのです。発音を真似たり音を聞き分ける能力は早い方が有利だということは半ば定説となっています(「臨界期」の学説は様々ですが方向性は同じです)し、実際に多数の生徒を指導した経験があれば否定できないものです。他にも、言語の違いや他者の目を意識せず楽しく学べる、知識ではなく感覚的なものを身につけられるといった幼児期なればこそのメリットも多いので、この方法で早期から国語教育と平行して進めていくべきだと思います。

当学院では、個別指導の本格的な中学/高校/大学受験に向けた国語力養成講座や作文指導などの他、幼児の『ことばとかず』を中心とする総合的な能力開発や低学年向けの国語力の基礎作りサポートなども英語会員向けサービスとして行っています。

さらに、絵本の読み聞かせ会や『家庭でできる国語指導』母親向け講座なども実施して参りますので、詳細はお問い合わせ下さい。